PROFILE

清水 翔平

命の輝きを撮る写真家


1989年2月16日生まれ。


2013年4月、新卒で東京に本社を構える大手企業に就職。

石油・天然ガス資源開発事業に携わり、

技術系社員として、採掘現場などで勤務。

2014年6月から約2年間、オーストラリアに駐在。


その頃から、周りの人間は着実に成果を残し、信頼を得て成長していくのに比べ、

チームに対して思ったような貢献ができない自分に対して、

やがて「どうして自分はこんなこともできないのだろう」と、

強い劣等感を感じながら働くようになる。
人一倍頑張らなければと思いつつ、
いざ勤務時間になると、全くやる気がでず、

一定の時間、我慢さえすれば無条件に振り込まれてくる給料だけを頼りに、

中途半端な働き方を続ける。


オーストラリアで勤務中、Facebookで偶然見つけた、

生き生きと自分を生きる人の投稿を見たとき、

強く心を揺さぶられ、

「自分はどう生きたいのか」という命題が、

自分の中に深く居座るようになる。


何か行動を起こさなくてはと、

休みの日が来るたびに、

自分のやりたいことを見つけようと焦るものの、

これといった行動を起こせずに時間だけが過ぎていく。


それでも、だんだん居ても立ってもいられなくなり、

2016年4月、大学の後輩であり、メンタルコーチでもある友人に、

自分のやりたいことを見つけるために、コーチングを依頼。

月に1度、一時帰国のタイミングで、自分の本音を探る時間を作る。

その中で、やりたいことは何か分からなくても、

「会社を辞めたいんだ」ということだけは、ハッキリと自覚するまでになる。

そして、その望みを叶えることを決め、

会社を辞めるタイムリミットを決める。


2016年7月、オーストラリアより帰国後、妻と結婚。


2016年9月、

コンサルというものを受けて、どんどん変わっていく人たちの姿をずっと見てきて、

いつか自分も受けてみたいと、ずっと気になっていたものの、なかなか踏み出せずにいた。

そんな中、師匠であるわだゆきこのコンサル募集の記事を見つけ、

そこに書かれている言葉に、強烈なインスピレーションを受ける。

そして、数日間迷った末、

たった一度きりの人生を、

誰かへの遠慮や、期待に応えることではなく、

自分のために生きるのだと決めて、

「生き方コンサル」を受けることを決め、

4か月間のコンサル料100万円をキャッシュで支払う。


程なくして、

片手間ではなく、本気で自分を生きるビジネスで稼ぐと決め、

会社からの退職を決意。

妻との対話や、両親、特に父親との激しい衝突を経て、

何を事業としてやっていくか、ということすら分からないまま、

自分を生きるという道だけをただ歩み始める。


その後、先行く人たちとの出会いの中で、

「カメラやってるなら、人の写真撮ってみたら?」と言われた言葉をキッカケに、

ド素人ながら「写真家」としての道を歩むことを決意(2016年11月1日)。

山で人の写真を撮る「山の写真屋さん」として活動を開始する。


しかし、カメラマンとしての仕事の依頼がほとんど入らず。

先の分からない不安の渦中で、悶々とした日々を過ごす。


行き詰っていたところで、

僕は人の中にある「光」を撮りたいのだということを、

望んでいるということに気が付く。


どうすれば人の光なんてものが撮れるのか?

そんなこと、自分にできるのだろうか?


そんな不安や怖さを超えて、


2017年の5月、

「人の光を撮る」ということを掲げ、

無料撮影「光を撮るフォトセッション」を

限定10枠募集したところ、数日で満員に。

約1か月半に渡り、1人につき1日がかりの撮影を共にしながら、

一人一人とじっくり向き合い、

「僕は、人の光を撮ることを通して、目の前の人と深く繋がった感覚を得たいんだ」

という確信を得るに至る。


「山の写真屋さん」を

「命の輝きを撮る写真家」と改める。


家族は妻と、小さな娘が一人。

山梨県甲府市在住。


"The day it all began."

僕にとってこの日は

第2の人生がスタートした日です。

それは、

僕が初めてカメラマンとして写真を撮った日。

「イマココ合宿」という山登り付きの合宿に参加し、

参加者たちと山登りをしながら、

小さなミラーレスカメラを片手に、参加者の写真を夢中で撮りました。

会社を正式に退職し、肩書が ”無職” となった記念日でもあります。